駅伝部 川崎勇二監督紹介

監督プロフィール

川崎勇二監督紹介
中央学院大学 法学部教授
川崎 勇二(かわさき・ゆうじ)監督
1962年7月18日、広島市生まれ。兵庫・報徳学園高校で全国高校駅伝、順天堂大学で箱根駅伝にて活躍。85年に本学の常勤助手となり、駅伝部コーチに。92年監督に就任し、94年に初めての箱根駅伝へ出場を果たす。

1年でじっくり向き合い、2年で芽が出る。
学年が上がるたび着実に強くなる、それが中央学院。

高校の一流選手、完成品となった選手は本学には来ない、粗削りな伸びしろのある学生を育てあげるのが私の指導です。1年でじっくり向き合い、それぞれの個性を生かした練習メニューを組み、その成果が2年になって芽が出てくる、学年が上がるたびに着実に強くなる、それが中央学院の強さです。

「箱根駅伝で優勝する」監督をやっている以上もちろんそれは夢です。しかし、自分の夢を追いかけると選手に無理をさせることになる。箱根で優勝するには年間を通じてかなり長い距離を選手に走らせることになる。それは選手にとってかなりの負担となり、スピードを強みとする選手を潰しかねない。
私は大学の教員でもあるので、選手を、学生を潰すような真似はできません。大学でピークを迎えるのではなく、1人でも多く実業団で活躍できる選手を育てたい。過度な練習は避け必要最低限にとどめ、正しいフォームを身につけさせる。それがきちんと身につけば十分実業団の選手として活躍できる。私は選手にそう伝えています。

「息の長い選手を育てたい。」そう答える川崎勇二監督は自信に満ちていた。そんな川崎監督の愛が溢れる指導の下、選手たちは今日も練習に励んでいる。

通過できるという「過信」と「慢心」があった ~第97回箱根駅伝予選会を終えて~(2020年10月17日)

箱根駅伝予選会を終え、他大学が思ったよりも強かったというのが全体的な感想です。我々としてはベストメンバーをそろえられなかったのが大きかったですし、戦力がうまくハマらなかったのが落選した要因だと考えています。14人のエントリーメンバーを決めるにあたり、髙橋翔也と栗原啓吾の力は抜きん出ていましたが、他は大きな差がありませんでした。確実に走れる石綿宏人がケガで起用できなかったのは想定外でしたが、それ以外のメンバーは安定感の高い選手を中心に選びました。ただし、直前で戸口豪琉が調子を落とし、走れなかったのは痛かったです。本人はそれでも外れることはないだろうと思っていたでしょうが、予選会は確実に走ってもらわないといけませんので、思い切って外しました。ただ、それでも「通過はできる」と思っていたのが正直なところです。

レースプランとしては、髙橋と栗原が日本人先頭グループ、畝歩夢を先頭にした1㎞ 3 分ペースのグループ、吉田光汰を中心とした5㎞ 15 分00 秒~ 15 分10 秒のグループと3 つに分けました。決して無理なペースではなかったのですが、真ん中のグループが早々と崩壊してしまいました。本来は畝と戸口の2人で引っ張らせるつもりでしたので、戸口が欠場したことで畝への負担が大きくなってしまったのかもしれません。

もともと後半に弱いチームではあるのですが、今回は要因が分からないくらいに失速が激しかった。20㎞からの残り1.0975㎞で3分20 秒を切っているのが12 人中2 人しかいませんでした。他大学のトップ級の選手が3 分ひとケタで来ていましたので、最後の絞り出しがまったくできなかったのも大きな要因かと思います。何人かはフィニッシュ後に震えて低体温気味になっていたので、エネルギー補給や寒さ対策が不十分だったのかもしれません。

これで箱根駅伝への連続出場が「18」で途切れてしまいました。
正直落ちるとは思いもしなかったです。これは私も含めて、学生全員そうだと思います。「過信」と「慢心」があったのでしょう。もっと外に目を向けるべきでした。前回の箱根駅伝で連続シードが途切れた時から、「このままでは予選会で落ちるかもしれないよ」と学生には話していたのですが、まさかそれが現実になるとは思いもしませんでした。卒業生たちにも申し訳ないことをしたなと感じています。
予選会を甘く見ていたことは否定できませんが、十何番になってしまうようなチーム力ではないと思っています。気持ちを切り替え、新たなスタートを切りたいと思います。