法学部 法学科
Faculty of Law

米国サンディエゴ在外研究報告

教授
川久保 文紀 / KAWAKUBO Fuminori
現代政治学、国際関係論、平和研究、境界研究(ボーダースタディーズ)を専門とする川久保先生が、2019年4月から2020年3月までの1年間、米国カリフォルニア州にあるサンディエゴ州立大学の政治学部に客員研究員として滞在した際の体験や研究の報告です。
法学部川久保先生

米国サンディエゴを拠点とした在外研究
―境界研究の射程―

川久保 文紀

 2019年度、筆者は中央学院大学在外研究員規程にもとづき、米国カリフォルニア州にあるサンディエゴ州立大学政治学部に客員研究員として在籍した。なぜ今サンディエゴかといえば、筆者の専門とする境界研究や北米国境地域研究に関する研究機関が集中するメッカであり、トランプ政権が推進している国境の壁建設の実態を調査する上ではこれ以上の場所はないからであった。2017年に米国のトランプ政権は、メキシコとの国境に長大な壁を建設することを政権公約の主要な柱として誕生したが、在外研究期間中である2020年は米国大統領選挙の年にもあたり、いわゆるトランプの壁建設の是非も大きな争点となっている。多くの方々のご協力のおかげで、筆者の研究・教育活動にとって貴重な機会を得たので、現地での生活やそこで得た研究上の知見などをレポートしたい。
◆太平洋をのぞむサンディエゴ:世界有数のメトロポリタン国境地域
 筆者にとっては、米国ニューヨークの田舎町での大学院時代以来14年ぶりの米国での生活となったが、カリフォルニアの大都市での生活に慣れるには、大学までの片道6車線のハイウェイ通勤を含めて、予想以上に時間がかかった。生活の基盤を整えなければ研究どころではないので、必死に動き回った最初の1カ月であったが、日本から持ち込んだ事典編集の作業も抱えていたので、落ち着くまでにはほぼ2カ月はかかった。サンディエゴの人口は、カウンティ(州の中における広域地方政府)全体では300万人を超え、全米有数のメトロポリタン国境地域である。映画「トップガン」の舞台としても知られるサンディエゴは、米国海軍や海兵隊の主要基地でもある。太平洋戦争に従軍した空母ミッドウェーが博物館として改修され、サンディエゴ港に停泊している。

米国サンディエゴ在外研究報告1

ソーク研究所付近からサンディエゴのラホヤ海岸をのぞむ(2020年1月17日)
 2月でも日中は20℃近くになり、夏は湿気もなく冬は暖かい気候に惹かれて米国内外から移り住んでくるひとも多い。日本を含むアジア系のスーパーや飲食街が立ち並ぶコンボイなどもあり、アジア系住民にとっても生活しやすい都市である。さらに医学やバイオサイエンスの世界的な拠点都市でもあり、ノーベル賞受賞者を何人も輩出するソーク研究所を中心として、アステラス製薬や武田カリフォルニアなどの製薬企業も世界中から集まっている。京セラの米国本社もサンディエゴにある。昔と比べてその物価の上昇には驚いた。多くの人間が集まってくる一種の弊害ともいえようが、とくに中所得者層向けの住宅数の不足が深刻化していることが連日地元メディアで報道されていた。

ミッドウェイ博物館

ミッドウェー博物館(2019年6月3日)
 自宅からメキシコとの国境までは車で30分足らずでいける距離にあり、筆者の経験でも国境をこれほど意識した生活は他にはない。またサンディエゴにはスペイン語表記の町名やストリート名が多く、ここがかつてメキシコであったことを想起させ、米国とメキシコが歴史や文化をいかに共有してきたのかを日常的に肌で感じ取ることができる。メキシコがフランスに勝利したプエブラの会戦を記念するシンコ・デ・マヨ(スペイン語で5月5日という意味)をサンディエゴのオールドタウンで毎年祝うことも恒例であり、「私たちが国境を越えたのではなく、国境が私たちを越えたのだ」というメキシコ系アメリカ人の公民権運動のスローガンを体感できる都市である。

川久保先生在外研究報告2

メキシコ・ティファナ側からみた米国・メキシコ国境の最西端(2019年4月27日)
◆サンディエゴ州立大学政治学部客員研究員として
 客員研究員として在籍したサンディエゴ州立大学(San Diego State University: SDSU)は1897年に創立され、23の大学から構成されるカリフォルニア州立大学機構の中で3番目に古い歴史をもつ。283エーカー(1.5平方キロ)の広大なキャンパスには、大学院生を含め、約3万5千人の学生が学んでいる。学部の数はゆうに20を超える公立総合大学であり、スピーチや演劇などに特化した学部もある。

川久保先生在外研究報告3

サンディエゴ州立大学キャンパス(2020年2月3日)
 キャンパスには芝生の広がる憩いのスペースが多数あり、学生たちは休み時間には芝生に寝そべって読書をしたり、音楽を聴いたり、キャンパス内にあるスターバックスで飲み物を買い、仲間と談笑している光景がみられた。なかには木々の間に手製のハンモックを手際よくつくって昼寝をしたりと、三者三様のキャンパスライフを楽しむ姿が印象的であった。キャンパスが広大であるために、スケートボードの専用レーンがあちこちにあり、学生たちはそれを器用に乗りこなして講義に向かう朝の風景もカリフォルニアならではであろうか。
 筆者にとって、ストームホールという社会科学系の学部が集中する教室・研究棟に個人用オフィスが提供されたことはとても幸運であった。米国の大学図書館の充実ぶりは大学院時代にも経験していたが、図書館の在り方も改めて学ぶことが多かった。多彩なデータベースはもちろんのことながら、本や論文を大学間でやりとりするインターライブラリーローン(ILL)には舌を巻く。自分のメールアドレスに本のチャプターや論文が電子的に送付され、しかも原則無料である。基本的には数日で届く。米国では図書館の電子化が日進月歩なのである。図書館内も学生のディスカッションや勉学のためのスペースが十分に確保されているが、1日中開室している24時間スタディールームで学ぶ多くの学生を横目でみながら私も頑張らねばとみずからを鼓舞したものである。

川久保先生在外研究報告4

サンディエゴ州立大学キャンパス(2020年2月3日)
◆テキサス州ブラウンズビルからのスタートアップ
 在外研究は、米国・メキシコ国境の最東端に位置するテキサス州ブラウンズビルで開催された学会に参加することから始まった。ブラウンズビル訪問は、4年ぶりのことであった。その学会とは、テキサス大学リオグランドバレー校で開かれたホームランドセキュリティ学会であり、筆者もひとつのパネルの司会者兼コメンテーターとして参加した。2018年7月にウィーンの国際学会で知り合い、筆者の報告に対してコメンテーターを務めてくれたテレンス・ギャレット教授が主催する学会であり、この学会に参加して研究者との交流を深めることも在外研究をスムーズにスタートさせる上で有益であった。

川久保先生在外研究報告5

テキサス・ブラウンズビルでの学会風景(2019年5月23日)
 この学会のユニークな特徴は、国境に関する研究者ばかりではなく、地元警察、テキサス州政府の官僚、そして現地の一般住民などの多様な国境の利害関係者が参加して、現在の国境管理の在り方についてそれぞれの立場から意見を述べ合い、議論するという性格にあった。学会といえば、研究者だけで発表・議論を行う場であるという理解が一般的であるが、この学会に参加して、一つの公共問題に対して相互に関連するアクターどうしが実際に顔を合わせて議論を行い、解決への道筋を探ることの重要性を再認識した。
 学会前日、ギャレット教授とともに、テスラの創業者イーロン・マスクが経営するスペースXのロケット発射場を横目にみながら、片道1時間弱、沈没船や車の残骸などが転がる海岸線を延々と歩いた。目指したのは、総延長3000キロのリオ・グランデ川がメキシコ湾にそそぐ河口である。すれ違ったのは、ウミガメを保護するNGOのジープ1台だけであった。この一帯はボカチカ国立公園となっており、この入り口までは車で訪れることができるために、そこが米国・メキシコ国境の最東端であると勘違いする人間も多い。

米国サンディエゴ在外研究報告6

米国・メキシコ国境の最東端、リオ・グランデ川がメキシコ湾へそそぐ河口(2019年5月22日)
 ギャレット教授は、リオ・グランデ川の河口にまで行ったことのある日本人は君がはじめてじゃないのかと笑いながら話してくれた。川の向こう側には、釣りをするメキシコ人が数人みえ、こちらから手を振ったら手を振り返してくれた。この川の真ん中が米国とメキシコの国境になるわけであるが、とてもお互いが国境や壁などを意識するような環境ではなかった。生活空間としての河川国境を体感した貴重な時間であった。
◆アリゾナにおける国境セキュリティ・フェアに参加して
 6月中旬、国境セキュリティ・フェアを見学するために、アリゾナ州の州都フェニックスを訪れた。フェニックスは、人口160万人のアリゾナ州最大の都市であり、フェニックス国際空港は米国南西部のハブ空港である。ソノラ砂漠の中に位置するフェニックスは、赤茶けた山々に囲まれており、真夏の最高気温は摂氏45℃近くになることもある。市の人間が街中でペットボトルの水を無料で配っている光景があちこちでみられた。真夏のアリゾナでよくみられる日常の風景らしい。吐く息によって喉に痛みを覚えるほどの暑さであったことが忘れられない。

米国サンディエゴ在外研究報告7

国境セキュリティ・フェアにおける国境警備用車両(2019年6月19日)
 フェニックスのコンベンションセンターで開催された国境セキュリティ・フェアは、政府で国境管理部門を一元的に管轄する国土安全保障省、国境管理のテクノロジー開発を担う民間企業や大学・研究機関が一同に会する大規模なものであり、在外研究の目的のひとつであった「国境産業複合体」の実態を調査するためには格好の場となった。展示ホールには、数十もの企業のブースが出展され、最新の国境管理システムや装備を政府関係者などにPRし、売買契約を結ぶ場としても使われていた。居並ぶハイテク機器を横目にしながら、民間セキュリティ産業にとっては、とくに国境管理分野が現在最大のビジネスチャンスなのだと痛感した。

川久保先生在外研究報告8

アリゾナ州ノガレス(メキシコ側も同名のノガレス)の国境フェンス(2019年6月20日)
◆国境を守る側のミッション:米国国境警備隊による国境パトロールツアー
 11月後半には、米国国境警備隊のサンディエゴ・セクターが主催する国境パトロールツアーに参加する貴重な機会を得た。現在の国境警備隊は、2003年に創設された国土安全保障省の税関・国境警備局(CBP)の下部組織として位置づけられ、全米に20のセクター(いわゆる守備範囲)がある。これは、ワシントンD.C.のCBP本部に知己が多いポール・ギャンスター教授(SDSUカリフォルニア地域研究所所長)が企画・招待してくれた。ギャンスター教授とは、2014年に札幌で開催された国際シンポジウムで筆者がギャンスター教授の報告されるパネルで司会者を務めたことがきっかけで知り合った。

米国サンディエゴ在外研究報告9

高さ30フィート(約9メートル)の国境フェンス、ギャンスター教授と(2019年11月13日)
 この国境パトロールツアーに参加する目的なども含めて、私のバックグラウンド調査から始まった。ギャンスター教授いわく、「君がテロ組織などと関係があるかどうかのチェックだよ」と笑いながら説明してくれた。調査終了後、チュラビスタにあるサンディエゴ・セクターの本部に出向き、まず広報担当の2人の国境警備隊エージェントのブリーフィングがあった。その後、国境警備隊の車にのり、サンディエゴ南部のオタイメサにある国境検問所に向かった。次にサンイシドロの国境検問所付近を通過し、最後は、米国・メキシコ国境の米国側最西端であるボーダーフィールドステートパークに向かった。一般人は誰も入ることのできない第一フェンスと第二フェンスの間を時々停車しながら走り抜けたのであるが、国境から米国とメキシコの街並みの双方をみることができ、麻薬組織がトンネルを掘った場所や30フィート(約9メートル)の国境の壁(実際はフェンス)を間近にみながらのツアーであった。この数日前には、メキシコの麻薬組織がどこでも手に入る電動ノコギリで第一フェンスを切り取ったニュースが流れただけに、国境警備隊も普段よりも緊張感が増している感じを受けた。移民に対する暴力や人権侵害でもメディアで取り上げられることもある国境警備隊ではあるが、命の危険を顧みずに国境を守るミッションに満ち溢れたエージェントの話をじかに聞くことができたことも貴重な経験となった。
◆アリゾナ再訪:国境ジャーナリスト トッド・ミラー氏との出会い
 12月初旬、アリゾナを車で再訪した。サンディエゴからは東に7時間の旅であった。何度か休憩を入れたが、アリゾナに入ると時差もあり、さすがに疲れたが、カリフォルニアからアリゾナに向かう車窓の変化は著しいので、十分に楽しんだ。風力発電の居並ぶ巨大なファンを横目に、広大な丘陵地帯を抜けてソノラ砂漠に入るのだが、一般的にイメージするような砂漠ではない。アリゾナは、世界でもまれにみる緑の砂漠地帯といえる。パイプオルガンの形をしたサボテン(高さ4メートルにもなる)が生息するオルガンパイプカクタス国定公園は観光地としても有名であるが、現在はトランプの壁が建設されている場所としても報道されている。

オルガンパイプカクタス国定公園

アリゾナ州のオルガンパイプカクタス国定公園(2019年12月7日)
 この再訪のメインの目的は、5月のブラウンズビルの学会で知り合った国境ジャーナリストのトッド・ミラー氏に再会するためであった。米国・メキシコ国境を中心に世界中の国境を取材しているミラー氏は、調査ジャーナリズムという立場から、ニューヨークタイムズやネイションなどへの寄稿や多数のメディア出演を通じて、米国の国境管理政策の実態について問題提起してきた気鋭のジャーナリストである。
 アリゾナに到着した翌日、トッド氏とともにメキシコ国境へ南下し、アリバカという人口800人の小さな町に向かった。なぜこの小さな町を訪れたのかといえば、国境管理の現状が著しく軍事化およびゾーン化している町であったからである。町に2つしかないレストランの一つでトッド氏と昼食をとったのであるが、窓からみえる国境警備隊の車両の多さには驚いた。メキシコ国境からはだいぶ離れているのであるが、町の近くには国境警備隊のステーションがおかれ、国境を越えてきた不審者がいるかどうかをパトロールしているとのことであった。国境は実際に引かれたラインよりも国家の内部に入り込んでいることを如実に物語る光景であった。

川久保先生在外研究報告11

アリゾナ州アリバカ周辺からみた国境、フェンスの向こう側はメキシコの麻薬カルテルの支配地域(2019年12月5日)
 また、トッド氏の紹介で、ツーソン・サマリタンによる移民の捜索・救出活動に特別に参加することができた。これは、2002年7月より、メキシコとの国境沿いのソノラ砂漠で日常的に移民の捜索・救出活動を行っているボランティア団体である。国境警備隊とは、相互の活動には立ち入らない紳士協定的な取り決めがあり、人道的な見地から活動を行っている。砂漠で小さな子どもの下着類やリュックサックなどを発見したときは、だれも言葉を発することができず、沈黙が長く続いた。

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ソノラ砂漠における給水ポイント(2019年12月5日)
 真夏には50度近くになるが、夜は凍えるほどの寒さになる。砂漠には大きなとげのついたサボテン(オコティーヨ)があちこちにあるので、ケガをするどころではすまない。その意味において、このオコティーヨが生えている場所は、国境の壁は必要ないのである。国境警備隊いわく、自然の国境である。移民の死亡原因は、もちろん熱中症も多いが、実は脱水症状や低体温症で死亡する場合がそれよりも多いのだとリーダーのひとりは車中で話してくれた。知られざる現実である。
◆教育活動への還元:担当科目である平和学と政治学原論の生きた教材
 サンディエゴで年を越し、トッド氏の友人であり、日系アメリカ人作家・詩人のブランダン下田氏とアリゾナでお会いしたこともあり、どうしても気になっていた場所に行くことにした。在外研究の成果は、研究活動ばかりではなく、講義やゼミにおける教育活動にも還元しなければならないという思いもあり、人種差別と戦争を取り上げる平和学、そしてシチズンシップ(市民権)とは何かを考察する政治学原論の生きた教材に触れる機会になると考えての訪問であった。

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マンザナー強制収容所跡の慰霊塔(2020年1月5日)
 気になっていた場所とは、カリフォルニア州のロサンゼルス北東部にあるマンザナー日系移民強制収容所である。アメリカ全体には10の収容所が存在し、マンザナー強制収容所は2番目に収容人数が多かったことで知られる(ピーク時には収容人数は1万人を超えた)。「戦時移住センター(War Relocation Center)」と正式には呼ばれているが、法の手続きをいっさい経ず、単に日系アメリカ人であるという人種的理由だけで12 万人以上の日系人を強制的に収容・隔離したという意味では、強制収容所と位置付けられる。
 マンザナー強制収容所には36のバラックが立ち並び、周囲は有刺鉄条網のフェンスで囲まれ、いくつもの監視塔が存在していた。まずそこに立って驚いたのが、吹きっさらしの強風である。バラックは、板で作られた簡易な構造であり、冷たい風とそれに飛ばされた砂が室内に入り込み、どれだけ耐え難い思いをしたのかは想像に難くない。強制収容された人々がこの荒涼とした土地でどのような思いで人生を終えたのかに考えをめぐらせるとき、この生きた教材を学生たちにリアルに伝える必要性を強く感じた。

米国サンディエゴ在外研究報告13

マンザナー強制収容所跡の復元されたバラック(2020年1月5日)
 収容所跡地すべてを巡り帰途についたが、当初は2時間ぐらいの滞在予定であったが、4時間の滞在となった。訪問翌月の2月、カリフォルニア州が日系アメリカ人に公式に謝罪をするというニュースも飛び込んできた。マサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー名誉教授(日本近現代史)が戦争の歴史とは人種差別そのものであると説いたように、いかなる境遇であれ、人種差別を絶対に繰り返してはならないという先人たちの思いと、現在の米国の分断化された政治状況への深刻な懸念が生み出した意志表明として理解することもできるだろう。
◆もうひとつの国境地域:エルパソ・シウダーファレス国境地域
 2020年1月末、境界研究や米国・メキシコ国境地域研究の第一人者であるキャサリン・シュタウト名誉教授らにインタビュー調査を行うために、テキサス州エルパソを訪れた。エルパソといえば、2019年8月、ヒスパニック系を標的にした銃撃事件が大型スーパーチェーン・ウォルマートで発生し、22人が殺害され、日本でもメディアで大きく取り上げられた街である。

米国サンディエゴ在外研究報告14

シュタウト名誉教授へのインタビュー(2020年1月30日)
 エルパソは人口約70万人のテキサス西部最大の都市であり、ヒスパニック系が人口の6割を占める。エルパソの街からは、国境の壁のすぐ向こう側にメキシコのシウダーファレスの街並みがみえた。ここまで視覚的に国境地域が一体化している場所も珍しいといえるほど、壁がなければひとつの都市と思えてしまうのである。訪問の1週間前には、シウダーフェレスでは何者かに女性ジャーナリストが殺害される事件が発生した。かつては麻薬カルテルの抗争の最前線であり、世界で最も危険な場所に名を連ねる都市だけあって臨場感が違った。エルパソ・シウダーファレス国境地域は、FBIやCIAなどの米国の治安・諜報組織とメキシコの麻薬カルテルの抗争を取り上げた映画「ボーダーライン」の舞台でもある。
 シュタウト名誉教授は、40年近くテキサス大学エルパソ校で研究・教育に従事され、境界研究の発展に多大な貢献をされた方である。すでに大学を退職されているので、ご自宅近くのカフェで、境界研究の来歴と未来、エルパソを中心とした米国・メキシコ国境地域の現状、2年前に出された新著の内容など、多岐にわたってお話いただいた。日本にも学会を含め3度訪問されたことがあるようで、陸域国境ばかりではなく、海域国境を比較研究する重要性にも触れられた。気さくなお人柄で、快くインタビューをお引き受けくださり、退職された今もなお研究への意欲を語る姿勢に頭が下がる思いであった。

川久保先生在外研究報告15

エルパソ・シウダーファレス国境地域の全景(2020年1月30日)
◆新しい研究のスタート地点
 ここでは、在外研究生活の一部をレポートしたにすぎないが、1年間を通じて、サンディエゴを拠点として国境地域におけるさまざまな人間や組織の境界/国境(ボーダー)への向き合い方を多角的に考察することができた。国境の壁建設の影響がどのように人々の生活に影響を及ぼしているのかを考えると同時に、守る側の組織に属している人間の考え方にも触れることができた。境界研究は発展途上にある分野であるが、方法論的広がりを秘めた分野であることも再認識した。米国滞在中にインタビューなども含め面会することのできた研究者は、政治学、地理学、歴史学、経済学、人類学、都市計画、芸術などを専門としていた。その意味において、境界研究は、学知の協働によってしか切り込めない分野であるといえる。現場に身をおくことによってしかみえない問題や考え方があり、これらにじかに触れられたことは、在外研究における定点観測とともに今後の研究にとって有益となろう。米国のプロフェッショナリズムの凄みを改めて体感しながら、自分なりの研究ネットワークを構築できたことも貴重な財産になった。そのような意味においても、在外研究の終了は新しい研究のスタート地点にたつことでもある。

 3月の帰国直前に新型コロナウィルスの蔓延によって各国の国境管理に影響が出始めたが、在外研究自体には何の影響もなく無事に帰国することができた。国境を越えた新型コロナウィルスの脅威と、他者を排撃するヘイトクライム(憎悪犯罪)や分断化傾向を強める米国社会の実態解明など、このウィルスに派生する深刻な社会問題は、「感染症や境界」といった見地からも境界研究の新しい研究テーマになるであろうし、新年度の教育活動において学生たちと積極的に議論し考えていくトピックになるだろう。最後に、今回の在外研究にあたり、1年間の留守をお認め頂いた学校法人中央学院、中央学院大学の教職員のみなさま、そして受け入れ先であるサンディエゴ州立大学政治学部に心よりの御礼を申し上げたい。