学校法人中央学院
    School corporation Chuo Gakuin

      理事長挨拶

      2022(令和4)年10月 理事長メッセージ

      学校法人中央学院学校起源の夜明け前「日華学堂」について
            日本橋簡易商業夜学校開校前夜の物語

                              第11代理事長 椎名市郎

      【1】学校法人武蔵野大学と学校法人中央学院

       令和4(2022)年7月19日、本法人同様、高楠順次郎を学祖として敬う「学校法人 武蔵野大学」の石上和敬副学長先生、三上嘉賢総務部長がご来校された。その趣旨は、武蔵野大学100周年記念事業を契機に、同じ高楠順次郎を学祖(創始者)とした二つの大学間の交流であった。
       その後、石上副学長先生より、訪問礼状と欒殿武・柴田幹夫編著『武蔵野大学シリーズ14  日華学堂とその時代―中国人留学生研究の新しい地平―』(武蔵野大学出版会)のご恵贈を受けた(以降、玉書と称す)。この玉書は、当職に新たな角度で本法人学校起源の夜明け前の歴史を学び直す機会を与えてくれた。

      【2】「日華学堂」(明治31(1898)年)と日本橋簡易商業夜学校(明治33(1900)年)

       結論から言えば、高楠順次郎の学校づくりの原点がこの「日華学堂」にあり、ここに参画した高楠順次郎はじめ、梅原融、宝閣善教、桜井義肇らが、「日華学堂」での学校経営を活かし、日本橋簡易商業夜学校(明治33(1900)年)と中央商業学校(明治35(1902)年)を創設したことにある。
       学校法人中央学院学校起源の原点であるこの「日華学堂」は、125年に及ぶ本法人の歴史に足跡は残すものの1これまで十分な資料が存在していなかった。玉書によれば、日本橋簡易商業夜学校開校前夜の明治31(1898)年 7月、高楠順次郎は外務省次官・小村寿太郎の依頼と補助金を得て、東京本郷西片町に清国・派遣留学生の帝国大学、高等専門学校入学の速成予備科「日華学堂」を創設した。

      【3】「日華学堂」の歴史と学校法人中央学院

       この玉書では、清国の留学生速成予備校であった「日華学堂」の凝縮された2年2ケ月(明治31(1898)年7月から明治33年(1900)年9月)の歩みがその歴史的背景、教育内容・学堂運営・留学生生活、そして、卒業生の多方面にわたる活躍が記されている。宝閣善教の「日華学堂日誌」の資料を掘り起こし、丹念に文献を渉猟・分析し、現代に通じる留学生教育の足跡を論じた労作である。
       「日華学堂」の学校運営を担ったのは、総監・高楠順次郎、初代堂監・中島裁之、二代目堂監・宝閣善教、主監・梅原融らであった。高楠順次郎は英語、宝閣善教は英文法、梅原融は物理・化学・会話・読解を担当する教師2として、三者は10年ぶりに東京で再会を果たす。これに同窓の桜井義肇が「日華学堂」での地理担当の教師として就任する。

      【4】反省会と建学の精神の萌芽

       高楠順次郎の「日華学堂」運営に協力をしたのは、修養団体「反省会」運動3の同志で西本願寺普通教校(文学寮)同窓で僧籍を有していた者が主であった。禁酒・禁煙を謳うこの「反省会」は、京都で新島襄が創設したプロテスタント系の同志社を意識したものであった。同志社では、酒もたばこもやらない禁欲的な規範を保ち、誠実、勤勉の徳の倫理を重視する学風であった。
       それに対し、当時の日本の学校に蔓延していた飲酒や喫煙の風紀の乱れを仏教学徒が教育の危機として改革を求める運動が「反省会」であった。特に、学校の風紀の乱れ以外でも商業(商売)の世界は、政治と結びついた政商が主流で、士農工商の最下層「商」の通り、倫理の外に置かれていた。ここに、日本橋簡易商業夜学校創設の機運やその後の大学の建学の精神「公正な社会観と倫理観の涵養」の萌芽を見ることができる。

      【5】学校法人中央学院の学校起源創立者“7人の侍”

       玉書、第三章において柴田幹夫博士が、本学の創始者でもある高楠順次郎(日本橋簡易商業夜学校校主)はじめ、梅原融(同校主監・西本願寺派布教師)、宝閣善教(中央商業高等学校第二代校長・西本願寺派僧侶)の活躍を詳しく論述している。高楠順次郎・梅原融・宝閣善教は、いずれも西本願寺普通教校(文学寮―現在の龍谷大学)の同窓生であった。
      仏教的信仰によって培われた信念と商業理論と実技とを体得した立派な商士を育成する教育機関の設立に共鳴した高楠順次郎、宝閣善教、梅原融、桜井義肇のいわゆる学校起源発起人“7人の侍”の内、4名は「日華学堂」に集ったことは玉書の歴史的資料で確認できた。
      残る西本願寺普通教校(文学寮―現在の龍谷大学)の同窓の文学博士・前田慧雲、佐竹観眼、酒生恵眼は、「日華学堂」との関連は不明である。創立者の一人・酒生恵眼は、「日華学堂」より「反省会」の「反省(会)雑誌」の編集に参画した同志4であった。
      1900(明治33)年6月16日、高楠順次郎宅にこの“7人の侍”が集まり、日本橋簡易商業夜学校創立を決議した。この7名の創立者の結びつきは、西本願寺普通教校(文学寮)同窓生以外にも、1902(明治35)年開設の西本願寺の高輪・仏教大学にも足跡がある。
      仏教大学では、酒生恵眼(学長)、佐竹観眼(教頭)、高楠順次郎(東洋哲学)、梅原融(文章学)、宝閣善教(英語、法制史)、前田慧雲(仏教通史)、桜井義肇(作文)の7人が揃って教鞭をとっている5。また、梅原融、宝閣善教、酒生恵眼、佐竹観眼の4名は福井県出身の同郷の同志でもあった。

      【6】125年の歴史から学ぶ回顧と展望

       我々がこのような中央学院の歴史的事実を考察する際は、125年の回顧や歴史の重みに対する畏敬以外に、激動している現在の法人の状況に解を求める有機的因果関係を探ることにある6。まさに、「故人の跡を求めず、故人の求めるところを求める」7である。
       その意味で、我々が歴史的事実から学ぶことは、いつの時代も教育の創造・発展は、まず共鳴を抱くリーダーの下に同志が集まり、その同志が役割分担をしあって形成してきたことにある。理想を掲げる組織を象徴する人物、その人物の理想を実現するために奔走する仲間、そして、理想と現実の谷間で教育実践する熱意ある現場実践教育者という構造になる。
      翻って現在、理事長、学長、校長は、理想を掲げ人徳を得て同志を募っているか。副学長、学部長、教頭は理想実現のために役割分担して奔走をしているか。教育現場に立ち全身全霊で教育に携わる教員は、高楠順次郎の総合的人間力の基本である建学の精神を学生・生徒の手本として遂行しているか。これらの問いかけは、混迷する現代を生き抜くために先人が常に我々に問う自戒への歴史の叫びともいえる。

      【7】再び、建学の精神再考

       高楠順次郎の言葉(伝承-出典不明)として現中央学院大学中央高校の歴代校長が引き継いできた言葉(学校法人中央学院、中央学院大学中央高校、中央学院高校の建学の精神)は以下のようである8

         「誠実に謙虚に生きよ
            温かい心で人に接し
              奉仕と感謝の心を忘れるな
                常に身を慎み
                  反省と研鑽を忘れるな」


       これは、学生・生徒ではなくその模範を示す教職員へのメッセージとして受け取るべきと考える。いわく、「(学校に)修身(道徳)の科目は必要としない。教師がみな修身の教師だからである」の高楠順次郎の言葉が伝わっている9。この建学精神の中心は、冒頭の「誠実」にある。中央商業高等学校では玄関に校是として「誠実」の額(卒業生・松丸長三郎筆)が掲げられていた10
      この高楠順次郎の建学の精神が、大学創生期の第二代、四代、六代学長石本三郎の下での以下の中央学院大学の建学の精神へと繋がる。
           「公正な社会観と倫理観の涵養」
       なお、中央学院大学設立趣意書の建学の精神は、中央学院大学学則第1条に明記されている「産学協同」であった(当時、証券会社からの3億8千万円の出資を得ての証券大学構想は、昭和39年後半から40年にかけての証券不況大パニックでとん挫をする)。
       また、「公正な社会観と倫理観の涵養」以前の初代学長・湯村栄一の開学時の訓示の言葉は、現在も本館1階正面入り口に掲げられている苗剣秋11「宿命に生れ、運命に挑み、使命に燃ゆ」であった。


       末文で失礼ながら、隆盛をほこる学校法人 武蔵野大学の2024年創立100周年(1924年-2024年)に対し、当法人挙げて衷心より祝意を表したい。また、3年後の2025(令和7)年10月1日、当法人も苦節125年目の祝いの秋を迎える。

      HPバナー学校法人中央学院創立125周年記念事業ロゴ

       2022(令和4年)10月1日
       学校法人中央学院学校起源日
      (日本橋簡易商業夜学校開校記念日)

      日本橋簡易商業夜学校校舎

      1900(明治33)年10月1日創立
      日本橋簡易商業夜学校校舎

      初代校舎「三層楼」

      1902(明治35)年5月5日創立
      中央商業学校校舎

        1中央学院八十年史刊行部会編『中央学院八十年史』(中央公論事業出版)、昭和57年、54頁~55頁。中央学院百年史編集委員会編『中央学院100年史』(学校法人中央学院)、平成14年、30頁~31頁。
        2欒殿武・柴田幹夫編著、『武蔵野大学シリーズ14 日華学堂とその時代―中国人留学生研究の新しい地平―』(武蔵野大学出版会)2022年、180頁。
        3「反省会」とは、当時の学校に蔓延していた飲酒や喫煙の風紀の乱れを反省し、徳を積み人間の理想を求め、仏教精神による社会変革を訴える運動を意味する(欒殿武・柴田幹夫編著、同上書、160頁)。この背景には、当時、相次いで創設されたキリスト教系の規律あふれる学校への危機感があった。反省会は1886(明治19)年結成され、その論集「反省(会)雑誌」は、後の「中央公論」に改称される。
        4学校起源発起人“7人の侍”は、すべて「日華学堂」に集ったとの記述がある(中央学院百年史編集委員会編、前掲書、31頁)。しかし、前田慧雲、佐竹観眼、酒生恵眼の3名と「日華学堂」との関係は玉書でも不明である。
        5中央学院八十年史刊行部会編、前掲書、68~69頁。
        6E.H.カー著、近藤和彦訳『歴史とは何か』(岩波書店)、2022年、29頁。
        7中央学院六十年史編纂委員会編『中央学院六十年史』(中央公論事業出版)、昭和38年、494頁。
        8高楠順次郎の言葉は、菩薩の心に通じる。
      「他に慈しみを与え 自ら行を律し 忍耐強く努力し 知恵を磨くのが 菩薩であり 幸福をつかむ」(奈良 薬師寺・金堂教示 昭和41(1966)年9月)
        9武蔵野大学学祖高楠順次郎研究会編『高楠順次郎の教育理念』(学校法人武蔵野女子学院)、平成17年、112頁。文中のカギかっこ部分は椎名が挿入。
        10中央学院六十年史編纂委員会編、前掲書、「Ⅱ 現代・展望篇」冒頭の写真、125~127頁、187頁。
        11苗剣秋(みょう けんしゅうー日本語表記)は、張学良と学友であり、西安事件の立役者といわれ、周恩来とも懇意であった。共産主義と日中の特性に関する批判的評論で有名。日本留学中、一高卒・東大文学部(中退)、高等文官試験に合格している。
      2022(令和4)年1月 理事長メッセージ

      学校法人中央学院の学校起源について

      寅年は飛躍の年と言われています。小生も寅年生まれです。皆様の支えを礎に一層の精進を重ねてまいります。
      今回は、大切な学校法人中央学院の学校起源(1900(明治33)年10月1日)について述べます。学校起源から、すべての法人の歴史が始まり、2025(令和7)年には創立125周年を迎えるからです。

      【1】学校法人中央学院の学校起源に関する新しい理事会決定事項

      さて、2021(令和3)年4月28日学校法人中央学院理事会において、下記の理事長提案が満場一致で可決・承認されました。
       
      (1)学校法人中央学院の「学校起源年」は、日本橋簡易商業夜学校が創立された1900(明治33)年とする。
      (2)「学校起源日」は、1900(明治33)年10月1日(日本橋簡易商業夜学校開設日)とする。
      (3)2017(平成29)年5月31日の理事会報告事項での「1902(明治35)年を創立年とする」は、本日の決議をもって1900(明治33)年にこれを修正する。
      (4)現在の大学・高等学校の各学校の創立記念日(旧中央商業学校創立記念日1902(明治35)年5月5日)はこれを尊重し、学校法人中央学院の「学校起源日」と区別する。
      (5)大学・高校での学校法人中央学院の「学校起源日」の祝日等の取り扱いは、各学校の自主的な判断に委ね、まず緩やかにこれを運用していく。

      【2】学校起源と教育理念

       学校の創立を学校法人中央学院の教育起源とすれば、その歴史は1900(明治33)年日本橋簡易商業夜学校創立に遡ります。この日本橋簡易商業夜学校の創立は、早稲田実業学校が開校される1年前のことと言われています(※1)。
       建学の目的は、近代国家建設の日本経済を支える国際的商業人の育成にありました。教育の精神は、当時の日本銀行を中心に商業・金融中心地である日本橋の呉服商や薬種商、飲食業、金融・運輸業等に従事する若い人々に、イギリスの紳士教育をモデルにした実学教育に東洋の仏教的商業倫理観を習得させることにありました。
       西欧の近代思想を背景にした実学教育(実利主義)と 日本人としての仏教倫理教育(徳目主義)との融合(「中庸」)が「中央」の呼称の基にありました。学校経営の特色は、「広義の宗教系の学校とはいえるが、宗教法人そのものが直接設立したいわゆる宗教学校ではなく、仕事を異にする人々の意思を結集し、宗教的にも健全な在野の精神から生まれた学校」(※2)で、この特色は現在に至るまで引き継がれています。

      【3】二つの学校起源の存在

       学校法人中央学院の学校起源の年に関しては、過去、1900(明治33)年10月1日日本橋簡易商業夜学校創立説と1902(明治35)年5月5日中央商業学校設立説がありました。ちなみに、学校法人中央学院創立60周年(1962(昭和37)年)、80周年(1982(昭和57)年)、100周年(2002(平成14)年)は、母体中央商業学校創設1902年を起点として実施された。また、中央学院大学中央高校120周年事業(2020(令和2)年)は、1900年を起算年として実施されてきています。
       2008(平成20)年、この二つの起源説の2年間をつなぐ貴重な物証が出現しました。それは、両校の関係を記した明治36年学生論文集-「專修部・校友會編『會報』」(※3)(参考資料①。以降、『會報』と称す。)-の発見でした。2008年当時理事長の吉野賢治氏より当時学長であった椎名市郎は、この実物資料の提供を受け内容を検討しました。
       この『會報』によれば、1900年設立の日本橋簡易商業夜学校が、その後、校舎の狭隘を理由に京橋区の旧商船学校跡地に校舎を移転したこと、校舎移転と同時に文部省甲種認定を受け、中央商業学校に校名変更をしたことが記されていました。ここまでの歴史は、『會報』を見なくても我々関係者の周知の事実でした。

      【4】日本橋簡易商業夜学校と中央商業学校との関係

       『會報』で新たに発見されたことは、1900年創立の日本橋簡易商業夜学校の学生がこの移転・改名措置を「嘆涙を呑んでやむなく受け入れ」(※4)、中央商業学校夜間部に(編)入学をしたと記されている(※5)ことにありました(参考資料②)。つまり、日本橋簡易商業夜学校の学生は、後の中央商業学校の卒業生でもあったことです。
       創立者7名は、まず暫定的な準備学校である日本橋簡易商業夜学校を創立し、次いで本格的(文部省甲種認定)な中央商業学校を設立したのでした。日本橋簡易商業夜学校と中央商業学校の関係は両者一体であり、学校名こそ異なりますが、現代で言えば同一法人(※6)の運営であったといえます。
       これを裏付けるように、法人100周年記念誌『中央学院100年史』では、「日本橋簡易商業夜学校と中央商業学校の学校経営は引き続き校主・高楠順次郎、校長・南岩倉具威、主監・梅原融の布陣」であったと記されています(※7)。日本橋簡易商業夜学校創立の主要メンバーが、引き続き、中央商業学校を創設したことになります。
       加えて、上記のように中央商業学校在校生に日本橋簡易商業夜学校の学生が(編)入学で在籍し、中央商業学校を卒業していたことも明らかとなりました。まさに、法人の学校起源は1900年であることが再確認されたのです(※8)。

       

      【5】理事会決定の背景にある理事長の想い

       ただ、問題は2017(平成29)年5月31日の理事会・報告事項で「1902(明治35)年を創立年とする」と議事録に記されていることでした。私は、勉強不足で理事長になるまで、この確認事項の存在を知りませんでした。これを報告事項ではなく、きちんと審議事項として取り上げて、「学校起源年月日」を1900(明治33)年10月1日(日本橋簡易商業夜学校開設日)を法人の学校起源と修正したのが昨年の理事会決定でした。
       日本橋簡易商業夜学校の1900年から中央商業学校の1902年のこの2年間は、先人が辛酸をなめ幾多の苦難を乗り越えて学校を創立した時期でもあります。法人の歴史上、極めて重要な胎動期といえるでしょう。法人関係者は、この創立者達の2年間の艱難辛苦の努力を末永く讃え、深謝する意味でも法人の学校起源は1900年でなければならないとするのが私の強い信念で、その想いが2021(令和3)年4月28日理事会の理事長提案でした。
       ここに、2021(令和3)年4月28日学校法人中央学院理事会において、「学校起源年月日」を1900(明治33)年10月1日(日本橋簡易商業夜学校開設日)とする理事長提案が満場一致で可決・承認された所以があります。「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ(ビスマルク)」という諺があります。学校創設122年を迎えた今年も、歴史から新しい多くのことを学ぶことができると思います(※9)。
       

      2022(令和4)年1月11日
      第11代理事長 椎名市郎

      ※1 中央学院八十年史刊行部会編『中央学院八十年史』(学校法人中央学院)、1982(昭和57)年、59頁。
      ※2 中央学院八十年史刊行部会編、同上書、63頁。
      ※3 校友會・專修部編『會報』第壹号、1903(明治36)年5月25日発行。
      ※4 校友會・專修部編、同上『會報』、一頁。
      ※5 日本橋簡易夜学校から中央商業学校夜間部に(編)入学した中央商業高校第3期生杉田勇吉氏の当時の学生時代の回顧が紹介されている。中央学院八十年史刊行部会編、前掲書、64頁、77~78頁。
      ※6 私立学校令(明治32年8月3日)のもとでの「実業学校令」第六条には「私人ハ本令ノ規定ニ依リ実業学校ヲ設置スルコトヲ得」と規定されている。
      <文部科学省 実業学校令(明治三十二年二月七日勅令第二十九号)はこちら
      明治の創設期には学校法人の法律上の概念も規程も存在していない。当時は設立者数名による私人の共同経営形態であり、代表者名(校主・高楠順次郎)が登録されるのみであった。
      ※7 中央学院百年史編集委員会『中央学院100年史』(学校法人中央学院)、2002(平成14)年9月、37頁。引用文中の括弧書きは椎名市郎が挿入。
      ※8 この当時、法律的には学校法人の概念は存在しないが、歴史の中で生成・消滅した学校の変遷を、法律の枠を超えて統一的に把握する概念として、法人の概念を援用せざるを得ない。学校の創立を法人の学校起源と解するのはこのためである。
      ※9 本メッセージは、佐藤英明・佐藤寛・椎名市郎稿「中央学院大学『現代教養学部』設置の経緯と趣旨(上)」、『中央学院大学現代教養論叢』(創刊号、2019(令和元)年3月)所収の上巻―椎名市郎担当文責部分154~162頁を大幅に編集しなおして、2021(令和3)年4月28日学校法人中央学院理事会に椎名が提案した資料「学校法人中央学院の学校起源と建学の精神」(1~17頁)を縮小版として書き改めたものである。 

      會報第壹号

      (参考資料①―明治36年学生論文集-「專修部・校友會編『會報』表紙」)

      會報発刊の辞

      (参考資料②―明治36年学生論文集-「校友會・專修部編『會報』1頁、本文中の 線は椎名が挿入」)
      2021(令和3)年4月 理事長メッセージ
       学校法人中央学院の学校起源は、今から121年も前にさかのぼります。1900(明治33)年、東京の中心・日本橋に「日本橋簡易商業夜学校」を設立したのが教育の始まりです。その後、中央商業学校、中央工業学校、さくら幼稚園、中央中学校、中央商業高等学校、中央商業高等学校通信制、中央商科短期大学、徳山大学設立などを経て、現在は中央学院大学、中央学院大学中央高等学校、中央学院高等学校を擁する学校法人です。

       「中央学院」の『中央』は、社会・文化・教育の中心・中央を志向する創立者の一人、高楠順次郎の強い意識の表れと伝えられています。物事の本質を右か左かという偏向を退ける学問姿勢と多くの異質なもののなから共通するところを探りあて社会の中心となる合意形成やニュートラルな姿勢で中央の真理を探究する「中庸」の精神が込められていると言われています。
       

      椎名理事長2020

      椎名市郎 理事長
       建学時の教育理念は、日本人としての仏教倫理教育(徳目主義)と西欧の近代思想を背景にした実学教育(実利主義)の融合(「中庸」)にありました。この伝統を引き継いで、中央学院大学(千葉県我孫子市)は、大学院商学研究科(修士課程)、商学部、法学部、現代教養学部が開設されています。学校起源の精神は、現在の「公正な社会観と倫理観の涵養」という大学建学の精神に引き継がれ、大学は56年目の充実期に入りました。

       また、大学の母体となる中央学院大学中央高校(東京都江東区)は、2020(令和2)年創立120周年記念式典を挙行いたしました。中央学院高校(千葉県我孫子市)においても、2020(令和2)年設立50周年記念式典が行われました。大学と二つの付属高校との教育連携は、学長と両校長との間で開催される「学校長会議」で意見交換がなされ、理事会に提言できる環境が整っています。

       さて、「学校法人中央学院 中・長期計画 第2期中期計画」が、2021(令和3)年3月24日評議員会の意見を聴き、同日、理事会決定されました。第2期中期計画の本質は、教育事業の改善にあり、その焦点は教育に携わる人間の意識改革にあると考えています。そして、第2期中期計画は、学生・生徒・保護者・地域社会などのステークホールダーの期待に責任を果たす決意表明であることも忘れてはならないと思います。

       それにしても、人間の絆を裂き、社会に悲しみと混乱を引き起こしたコロナ禍にあって、私たちは智慧と科学の力を駆使して、これを乗り越えようとしています。多くの犠牲の上に形成される新しい社会(ニューノーマル)では、いかなる場面でも教育の歩みを止めない遠隔・オンラインやオンデマンド授業等を開発し、対面授業とのハイブリッド型教育を実現しようとしています。それは、困難に打ち勝つ生きる力の養成こそが本当の教育であることを教えてくれているかのようです。

       121年続く不変の原則の遵守と時代とともにその原則を進化・発展させる中央学院の中央の精神を大切に、今後も教育事業に邁進してまいります。

      2021(令和3)年4月1日
      第11代理事長 椎名市郎
      学校法人中央学院 理事長 就任について<2020(令和2)年12月>

      学校法人中央学院 理事長 就任について

      平素より本学の教育・研究活動に関しまして、ご理解とご協力を賜り、誠にありがとうございます。
      学校法人中央学院は、2020(令和2)年12月1日(火)に新理事会を開催し、理事の椎名 市郎(しいな いちろう)を新理事長として選任いたしましたのでお知らせいたします。
                                                   2020(令和2)年12月1日
      学校法人中央学院

      椎名市郎理事長

      【理事長就任の挨拶】
      この度、理事長に選任して頂きました椎名市郎でございます。
      浅学非才な者をこうして理事長として理事会にご推薦をいただいた方と、本日ご承認をいただきました理事の皆々様に厚く御礼申し上げます。
      学校法人中央学院の初代理事長は大平正芳元内閣総理大臣、そこから数えて9人目の理事長となります(中央学院以前は中央教育財団)。
      120年(1900年・明治33年創立)の歴史と伝統を有する当法人は、前理事長までは法人母体である中央商業高校の出身の大先輩がここまで大過なく運営をしていただきました。本日、53年の歴史の中央学院大学出身者がこうした大役を仰せつかることに対し、その責任の重さに身が引き締まる思いであります。
      120年の法人の歴史は平坦な歴史ではございませんでした。むしろ、苦難に満ち辛酸をなめて生き抜いてきた歴史でございます。現下の世界中を覆う新型コロナウイルス感染症による非常事態の中で、伝統を引き継ぎ、新たなる教育価値創造に向けて英知を結集したいと思います。
      そのためには、中央学院大学学長、中央学院大学中央高等学校並びに中央学院高等学校の両校長先生はじめ現場の教職員の皆様のご意見を基礎に、理事・評議員、監事、顧問・参与のご指導を仰ぎ、法人運営をしてまいります。
      今後ともご指導・ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます。
      <2020(令和2)年12月1日理事会席上にて>