エッセイ

「ボーダーを越えて」(2023年10月2日掲載)
個人事業主、前稚内市役所国際交流課長・サハリン事務所長 三谷 将

「ボーダーであることは、世界とつながっていることだと実感する毎日だ」。
これは2020年1月3日、北海道新聞朝刊の紙面にて現在に至るまで私が執筆を続けている連載コラム「朝の食卓」における私の第1回掲載原稿(タイトルは「ボーダーを越えて」)の文言の一部だ。

この時私は、サハリンを日本時代の樺太と結びつけて語りたがる日本の風潮(注1)に抗い、「日本とロシアという枠すら越えた、この地域でしかあり得ない歴史の集積が今へと続く」多国籍な世界であることを、実際に出会った人々の事例を示しながら、世界に通じるボーダーとして描く意義を強く意識した。
この時使ったボーダーの用語は、既に北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター、JIBSN(境界地域研究ネットワークJAPAN)等において「ボーダーツーリズム」の定義もなされていたが、それは単なる国境以上の幅広く多面的な意味合いを持っている。

この時、私が何気なく使ったボーダーという用語が、その後数年で、その意味合いを急速に変容させていくとは、当時の私に知る由も無かった。このエッセイでは、稚内市のサハリン駐在員として実務的な国境の現場に長く立ち会った、サハリン交流の当事者の一人である私の経験を基に、ボーダーの用語とそれに関わる意識の変容について、以下、考察する。

私がサハリン事務所長として現地赴任した2019年当時、その任務は稚内市を含む北海道北部地域とサハリン州との人材、文化、経済の交流を促進することに注力されており、それは稚内サハリン定期航路(2018年限りで運休中)の再開という目標とも相まって、ボーダーの語感は楽天的かつ極めて好意的な受け止め方がなされていた。今思えば、その背景には当時の日ロ首脳の合意の下、友好善隣関係を進展させたいという両国の基本合意が前提としてあったことが、定期航路の再開に向けた当時の協議でのサハリン側の積極的な動きからも分かる。
そして2020年初頭、コロナ禍が世界的に猛威を振るい始める中、国境という物理的な意味でのボーダーが閉じるという事態に直面した。当時私は日本国総領事館、ロシア外交代表部、サハリン州政府らによる協議の場に居合わせ、事態が進展する様を身をもって経験した。(注2)

この時ボーダーは、少なくとも我々世代の歴史で初めて「閉じることがあり得る」という経験がなされ、その事実は後々まで尾を引き、重大な影響を及ぼすことになる。ただ意識の面では、より深刻な意味を持つ「心のボーダー」までは形成されておらず、リモートという新たなコミュニケーションの形式が生み出された。
しかしこの時期に日ロ間を往来(成田-ウラジオストク-ユジノサハリンスク)した私は、日本人の深層意識において、ボーダーを危険なもの、自分とは異なる他者(外国人だけでなく日本の外に住む日本人も含む!)を拒むべきものと捉える、これまでとは異なる他国への差別的ともいえる考えが表面化しつつあるとも感じた。検疫措置の面でも、日本は海に囲まれた島国であり「いざという時は国を閉じる」ことが選択肢の一つとして現実に実行可能であることが示された影響は大きい。
2019年10月28日 ユジサハリンスク道北物産展(筆者撮影)2019年10月28日 ユジサハリンスク道北物産展(筆者撮影)
そして2022年、私が住む日本の北端のボーダーは、意識的な面でも物理的な面でも、決定的な破綻を迎えた。人々はこのことをロシア、ウクライナの問題のみに関連して捉えがちだが、単純にそれだけとも言い切れない。前年までのコロナ禍での「国境閉鎖」の体験により、実際の往来は不要、必要最小限の対話をリモートで、という認識が共有されつつあったことで、既にこれまでとは異なる世界観が人々の深層心理に刷り込まれていたという影響も決して見過ごせない。

また韓国、中国、台湾といった隣国と日本のボーダー地域との間でここ数年繰り返された事象(過度のインバウンドと、その反動ともいえる交流断絶、政治的対立を煽る外野のアジテーションの繰り返し)や世論の空気感を考えると、元々、世界情勢の変動という変数に過敏に反応しがちだった日本人の意識が、本来、共通の生活圏を築いて隣人として付き合うべき隣国との関係に、これまでと異なる抜本的なシフトダウンを徐々に生じさせてきた結果だと私は感じる。
2021年10月24日 秋のガガーリン公園(ユジノサハリンスク、筆者撮影)2021年10月24日 秋のガガーリン公園(ユジノサハリンスク、筆者撮影)
つまり稚内で起こり私が経験したこと(隣国との交流断絶)は、今のロシアとウクライナ情勢に固有の事象ではなく、近い将来、日本の他のボーダー地域にも波及する可能性があると、私は考えている。

実は私が中央学院大学社会システム研究所のプロジェクト研究に参加した意義は、まさにそこにある。私は長くサハリン交流や定期航路の再開に向けた交渉や実務に携わる中、直近の国境で直に外国(ロシア)と面するという点で、稚内市は北海道内の他の自治体より、韓国や台湾と直近に面する、距離的には遠方の国境自治体との方が共通の課題があるのでは、とずっと感じてきた。

私が本研究プロジェクトの代表である川久保文紀教授の知己を得たのは2018年、長崎県五島市で開催されたJIBSNセミナーの場で、私が日本の自治体の友好都市交流に関する類型論を発表した時だったと記憶する。

その後2022年、同教授と再会した際、私が抱いてきた上記の問題意識と、同教授が進めるプロジェクト研究の目的がまさに一致しており、私自身、竹富や与那国など八重山列島、根室など他のボーダー地域の実情を学べる良い機会と思い、この共同研究への参加を快諾したという経緯がある。
2023年5月27日 プリゴロドノエの海岸(コルサコフ郊外、筆者撮影)2023年5月27日 プリゴロドノエの海岸(コルサコフ郊外、筆者撮影)
稚内市は元々、日ロ、日ソ両国の政治的な対立を脇に置き、冷戦期さらにはその前から、のらりくらりと上手く立ち回って実利を得るという形で、サハリン交流の最前線を担ってきた地域である。それが今般の事態では「サハリン課」という他国の地域名を冠する全国的にもユニークな活動を行ってきた部署を一瞬で廃止し、さらにサハリンとの人流、物流を全て閉じるべきだという方針をすぐに示した。

それはおそらく国内向けの政治的なポーズが優先されたこともあるが、自身の地政学的意義や歴史的役割に無自覚だった点も否めない。何しろその時点では、サハリンは勿論、世界で何が起こっているのか正確に理解している者など誰もいなかったのだから。

稚内のほか、八重山列島、対馬など日本のボーダー地域にある自治体は、ある意味、日本外交の実務的な最前線とも言える。一自治体でありながら、他国と外交に類似した接触を直接、否応なしに得る立場である以上、自国と全く異なる法と慣習、政治的背景に折り合いをつけながら付き合う以外、方法がない。(注3)

私は今月からそれまでの職を辞し稚内を離れ、札幌近郊に拠点を移している。そこで改めて、地域による他者意識の差異を強く感じた。概して都市部の人々の意識は自己完結的、閉鎖的(他者を必要としない、そもそもボーダーという意識がない)なのに対し、辺境地域の人々の意識はより周囲の環境に敏感で、他者への意識が宿り易い(激し易い)のではないか。本来ボーダー地域にとって死活的に必要な他者との関係が切れることは、自身の衰退に決定的な影響を与えることであるということが無自覚のまま事態は進んでいると、私は非常な危機意識を感じる。

かつてないボーダーの危機の中、自分の身を振り返りこのエッセイを執筆しながらも、努めて冷静に情勢を分析すべきという傍観者の自分と、現実に抗い声を上げるべきという当事者との自分がせめぎ合っている。どんな時期や状況、場所であれ、他者とのコミュニケーションを自ら閉ざす理由とはならない。それは私自身が困難な状況の中、今年5-6月にサハリン渡航(成田-ウランバートル-イルクーツク-ウラジオストク-ユジノサハリンスク)した際、大勢のサハリンの人々に再会してその生の声を聴き、また助けられた思いから来る偽らざる実感である。本当の地域間交流は何かと絶えず自問自答しながら、日々過ごしている。

これからも北海道とサハリン間の交流と対話を支え続けるのが、これまでの経験を踏まえた私の役割であると信じており、自身の苦しみからも、他者との対話の断絶は人間の尊厳に関わる、より根源的なものだと思っている。(注4)
地域間交流には本来、そこまでの認識と覚悟が必要だということを、私は現場での経験から学んだ。

先に述べたとおり、今回この研究チームに参加する機会を得たことは、私にとって大変有意義なことである。まずは同様の課題を抱える他のボーダー地域の仲間や研究者らと共に、各ボーダーの変容と推移を比較、分析する中で共通する地域課題を見出すことができれば、それが困難な現状を変える糸口になり得ると考えている。
これまで実務者として、また親しい友人として、サハリンの人々と共にあり続けた私個人の思いからも、今後の展望と活路を見出したいというのは切実な願いである。
強い意志を持って、物事に取り組んでいきたい。(注1)
日本で出版、あるいは語られるサハリン関連の話題は、ほぼ樺太時代の日本に関する題材に限定されるのが実情である。読者の需要があるというのは勿論だが、私にとってそれは非常に一面的かつ自国中心的過ぎる見方であり、今に至るまで一般の日本人が持つサハリンの印象を実像とかけ離れたものにしてきた一因と感じてきた。現実のサハリンは韓国(加えて北朝鮮)、中央アジア(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス等)、コーカサス諸国(ジョージア、アゼルバイジャン、アルメニア等)との強い関りの中で生活と経済が回っており、私が現地で出会う人も同様である。樺太=日本を過度に強調する論調は日本の愛国ノスタルジーの変形であると私は感じている。

(注2)
2020年2月28日、北海道の鈴木直道知事が緊急事態宣言を公表。翌29日、サハリン州のリマレンコ知事が北海道とのオーロラ航空定期便を中止する許可を求めロシア連邦政府に働き掛ける意向を表明。そこから私が稚内に一時帰国する3月4日まで連日、ロシア外交代表部、サハリン州保健省、ロシア連邦消費者監督庁などから北海道に対するサハリン州側の検疫体制強化について一連の発表がなされた。

(注3)
稚内市サハリン事務所と同事務所長は、日本の自治体の辞令に基づき任用される部署と職であるにもかかわらず、ロシアの法令の適用を受ける。その契約、経理、訴訟等の法律行為は全てロシア国内と同様に取り扱われると言う点で、極めて特異な存在である。

(注4)
他国との交流の可否判断に関し、単に経済的な利害の観点のみでなく、人間的という根源な価値判断を考慮に入れるべきと私は考えている。人間的とは英語のヒューマニズム ”humanism” 、元はラテン語のフマニスムス ”humanismus” であるが、具体的には14世紀後半のイタリア・ルネサンスで古典研究者らが自らをウマニスタ “umanista” と称したことによる。人間的とは本来、言語を大事にすることというのがその本意であり、対話によるコミュニケーションを肯定するものと私は認識している。

※注4の出典
今道友信 著 「西洋哲学史」(講談社学術文庫 1987年)