CGU NEWS
2024.08.22
法学部
川久保ゼミ「広島における平和学習」実施報告
8月5日から2泊3日の日程で、川久保ゼミは広島市において平和学習を行いました。これは、我孫子市の平和事業として毎年行われている市内中学生の広島派遣と同時に行われたものです。
8月6日の原爆慰霊の日にあわせて被爆地広島を訪れ、広島平和記念式典への参列や広島平和記念資料館の見学などを通して戦争の悲惨さと平和の尊さを学ぶことを目的としています。
8月5日に広島入りし、翌6日の早朝6時に広島平和記念公園に集合しました。8時から開始された広島平和記念式典(正式名称:広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)に全員で参列することができました。報道によれば、約5万人が参列したとのことですが、昨今の情勢から例年に比べてセキュリティチェックがかなり厳しくなり、会場に入るまでにかなりの時間を要しました。式典では、松井一実広島市長による広島平和宣言、子ども代表による平和への誓い、岸田首相やグテーレス国連事務総長(代読:中満泉国連事務次長)の挨拶と続きました。厳粛な雰囲気のなかで行われた平和記念式典ですが、ゼミ生は慰霊の日の原爆投下時間に実際に広島にいることの重みを考えていたように思います。
8月6日の原爆慰霊の日にあわせて被爆地広島を訪れ、広島平和記念式典への参列や広島平和記念資料館の見学などを通して戦争の悲惨さと平和の尊さを学ぶことを目的としています。
8月5日に広島入りし、翌6日の早朝6時に広島平和記念公園に集合しました。8時から開始された広島平和記念式典(正式名称:広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)に全員で参列することができました。報道によれば、約5万人が参列したとのことですが、昨今の情勢から例年に比べてセキュリティチェックがかなり厳しくなり、会場に入るまでにかなりの時間を要しました。式典では、松井一実広島市長による広島平和宣言、子ども代表による平和への誓い、岸田首相やグテーレス国連事務総長(代読:中満泉国連事務次長)の挨拶と続きました。厳粛な雰囲気のなかで行われた平和記念式典ですが、ゼミ生は慰霊の日の原爆投下時間に実際に広島にいることの重みを考えていたように思います。

その後、原爆の子の像(別称:千羽鶴の塔)を訪れ、我孫子市の中学生による千羽鶴の奉納が行われるところを見守りました。原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんは、2歳で被爆し、12歳のときに白血病で亡くなりましたが、病床で薬の包み紙などで鶴を折ったことはよく知られています。禎子さんのご親戚によってそのうちの一つが我孫子市に寄贈され、現在もアビスタ(我孫子市生涯学習センター)に展示されています。奉納後には、中学生が平和記念公園を訪れていた方へ向けて行ったインタビューの一環で、ゼミ生もインタビューを受けました。「あなたにとっての平和とは」「式典に参列してどう感じたか」などの質問に対して、ゼミ生も丁寧に答えていました。



午後は、原爆ドームを眼下に広島市を一望できるおりづるタワーやかつて大本営が設置されていた広島城を訪れ、翌7日は、本川小学校平和資料館を見学しました。本川小学校は、被爆した校舎の一部を保存し、平和資料館として一般に公開されています。校舎は被爆翌日から救護所となり、校庭では多くの遺体が焼かれましたが、被爆翌年の2月から最低限の補修をしたうえで授業が再開されたという事実にゼミ生も驚きの表情をみせていました。
2泊3日という短い時間ではありましたが、我孫子市の中学生と我孫子で学ぶ大学生が平和学習を通して交流を深められたことは大変有意義な時間となりました。広島を初めて訪れたという学生がほとんどでありましたので、現地において肌で感じる平和の大切さを体得したように思えました。この平和学習の成果を踏まえ、後期からは、被爆者体験講話の実施、我孫子市連携講座での広島派遣報告、12月に行われる我孫子市主催の平和の集いへの参加と続いていきます。
2泊3日という短い時間ではありましたが、我孫子市の中学生と我孫子で学ぶ大学生が平和学習を通して交流を深められたことは大変有意義な時間となりました。広島を初めて訪れたという学生がほとんどでありましたので、現地において肌で感じる平和の大切さを体得したように思えました。この平和学習の成果を踏まえ、後期からは、被爆者体験講話の実施、我孫子市連携講座での広島派遣報告、12月に行われる我孫子市主催の平和の集いへの参加と続いていきます。
