エッセイ
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「群馬県太田市、県内初となる『ヘイトスピーチ禁止』を明記した条例施行へ」(2025年6月2日掲載)
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共愛学園前橋国際大学国際社会学部教授西舘崇2025年1月1日、群馬県太田市において県内初となる「ヘイトスピーチ禁止」を明記した条例が施行された。条例の正式名称は「太田市民一人ひとりの人権が尊重された差別のない社会を推進する条例」である。制定は2024年12月。条例案は太田市議全員の賛成を得て可決された(注1)。
太田市では「互いを認め合い人権を尊重する社会の実現」を総合計画の基本方針の一つとして掲げているほか、「まちづくり基本条例」にて市民と市議会そして行政が「市民一人ひとりの人権が保障され、何人も差別されることなく、その個性及び能力が十分に発揮されるまちづくり」を行うことを定めてきた。今回の条例はこれらの方針をより具体的に示したものと思われる。群馬県の外国人住民数は2024年12月末に8万人を超え81,396人となったが、太田市は県内市町村の中でも伊勢崎市(16,389人)に次いで2番目に多い15,698人の外国人が暮らす。市はこの状況を踏まえ、2016年施行の「ヘイトスピーチ解消法」に準拠した条例を制定し、市として具体的な理念を示すことにしたようだ。なお条例はいわゆる「理念条例」であり、罰則規定はない(注2)。市のホームページでは現在、英語、スペイン語、中国語、ベトナム語、ポルトガル語の5ヶ国語訳で条例を読むことができる。
さて、同条例は全部で13条から成っているが、その概要を以下に記しておこう(注3)。第1条では、条例の目的を「人権が尊重された差別のない社会を推進することに関し、基本理念を定め、市、市民、事業者及び教育関係者の責務を明らかにするとともに、不当な差別の解消に向けた取組に関する事項を定めることにより、人権を尊重するまちづくりを総合的に推進し、市民一人ひとりの人権が保障され、何人も差別されることなく、その個性及び能力が十分に発揮される社会の実現に寄与すること」と定める。続く第2条は条例内における用語の定義である。本稿の関心から「不当な差別」と「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」の二つの定義を確認しておく。
〈不当な差別〉人種、民族、国籍、信条、年齢、性別、性的指向、ジェンダーアイデンティティ、出身、疾病、障がいその他の事由を理由とする不当な区別、排除又は制限であって、あらゆる分野において、権利利益を認識し、享有し、若しくは行使することを妨げ、又は害する目的又は効果を有するものをいう。
〈本邦外出身者に対する不当な差別的言動〉本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28年法律第68号)第2条に規定する本邦外出身者に対する不当な差別的言動をいう。
後者については、参照している法律をさらに確認しておくと、本邦外出身者とは「専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの」であり、不当な差別的言動とは「差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する」言動を指す。
第3条は条例の基本理念であり、それは「人権を尊重するまちづくりは、誰もが一人ひとり異なる存在であるという考えのもと、多様性を認め合い、不当な差別を解消し、互いの人権を尊重し合うことを基本として実施されなければならない」と明記されている。
第4条から7条までは関係機関などの責務が記されており、順に「市の責務」「市民の責務」「事業者の責務」そして「教育関係者の責務」が挙げられている。続く第8条は「禁止事項」(後述)であり、その後は人権教育及び人権啓発(第9条)、基本計画(第10条)、調査等の実施(第11条)、苦情等への対応(第12条)、委任(第13条)(注4)となる。
第8条の「禁止事項」には次の5点が挙げられている。
・何人も、不当な差別をはじめとする人権侵害行為をしてはならない。
・何人も、いかなる暴力及びハラスメントを行ってはならない。
・何人も、インターネットその他の高度情報通信ネットワークを利用する情報の発信に当たっては、日本国憲法の保障する国民の自由及び権利を不当に侵害してはならない。
・何人も、本邦外出身者に対する不当な差別的言動をしてはならない。
・何人も、人権を尊重するまちづくりの推進に関する施策を不当に妨げる行為をしてはならない。
本稿のタイトルにある「ヘイトスピーチ禁止」に直接関係するのが、この禁止事項の4番目に記された「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」である。条例案の採決に先立って行われた太田市「市民文教委員会」での議論によれば、ここで同事項が個別に規定された理由は「多くの外国人が暮らす本市の特徴を踏まえ、外国人も含め全ての市民の人権が尊重された差別のない社会の推進のため」であったようだ(注5)。
さて、以上に見た太田市の条例にはどのような意義があるのだろうか。筆者はまず、条例にて記されたそれぞれの責務が太田市内にて様々な形で具体化され、実施されていくならば、太田市民の外国人意識に対して直接的な効果が期待できるのではないかと考えている。例えば、2021年に実施された人権に関する市の調査によれば、「外国人が地域で生活するうえで、特に人権上問題があると思われるのはどのようなことですか。(複数回答)」に対し、「差別的な発言や行動」と答えた人が全体の36.8%で最も多かった。しかもその割合は、10年程前の調査(2012年調査)時の17.7%から飛躍的に伸びていることが示されている(注6)。条例の第8条4項はまさにこの懸案事項にダイレクトに応えるものであると言えよう。だとすれば、罰則規定はないものの、「何人も、本邦外出身者に対する不当な差別的言動をしてはならない」ということが、広く市民に周知されることの意味は大きいのではないか。
条例はヘイトスピーチだけでなく、太田市民全体の人権意識の醸成にも影響を与えうると思われる。先に挙げた調査からは、太田市民の外国籍住民に対する人権意識が過去10年間ほどで約2倍以上高まっていることがわかっているが、社会に対する眼差しという点では「人権が尊重された社会」からはまだ遠く、10年前の意識からほとんど変わっていないことが示されている(注7)。そんな中にあって、「人権教育及び人権啓発」を謳う第9条は、こうした状況を改善するための具体的施策や民間による様々な事業・企画など、さらには教育現場における授業作りなどを後押ししたり、それらに正当性を与えたりするものになるだろう。同条例に関連づけられた施策等については予算措置の一つの重要な根拠にもなるのではないか。
条例にはまた県内外に対する波及効果もあるだろう。とりわけ群馬県においては先述のように、外国人住民数が8万人を超えたが、その状況は「急増」といっても過言ではなく(注8)、この2、3年以内には10万人を超えることが予想される。そうした中にあって、「ヘイトスピーチ」に関わる文言をあえて個別に入れた本条例が持つ意味は決して小さくないだろう。いずれにせよ、本条例の意義については、様々な先行研究からの知見を得ながら今後も考えていきたい(注9)。
最後になったが、太田市では2025年4月に市長選が行われ、新人の穂積昌信氏が現職の清水聖義氏を2102票差で破り(両者の得票数は穂積氏が3万5091票、清水氏が3万2989票)、新市長となった。太田市長の交代は実に30年ぶりとなる。清水前市長はこの数年、同市の多文化共生施策に新たな風を吹き込んでいたように思われる。その代表例は2024年12月に開所した「多文化共生センターおおた」であり、本稿で取り上げた条例でもあった。新市長となった穂積氏はこの流れをどう引き継ぐのか。そしてその市政をいかに展開していくのか。今後も太田市の動きに注目していきたい。(注1)太田市議会の議事録「令和6年12月太田市議会定例会会議録」や『市議会だより No.100』(2025年2月15日号)などを参照。
(注2)「ヘイトスピーチ禁止明記の条例制定 外国出身者や子孫に対し」『上毛新聞』(2024年12月14日)を参照。なお、地方自治研究機構によれば、ヘイトスピーチの禁止や拡散防止を条例で定めているのは、太田市を含め全国10自治体で確認されている。そのうち、川崎市「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」ではヘイトスピーチに対する罰則規定(刑事罰)が設けられている。同『上毛新聞』他、「ヘイトスピーチに関する条例」(一般財団法人地方自治研究機構)を参照。
(注3)条例の内容については条例本文のほか、その詳細については「太田市民一人ひとりの人権が尊重された差別のない社会を推進する条例逐条解説」を参照。いずれも太田市HPから閲覧可能である。
(注4)第13条では、条例に定めるもののほか、条例の施行に関して必要な事項については、市長が別に定めることが記されている。
(注5)前出『市議会だより No.100』7頁を参照。
(注6)太田市(2021)『人権に関する市民意識調査結果報告書』(62頁)を参照。
(注7)例えば、同上の報告書によれば、「特にどの人権問題に関心がありますか。(複数回答)」に対して、「外国籍の人」を挙げている回答者は全体の20%であったが、その割合は2017年調査(8.2%)、2012年調査(9.3%)に比べ2倍以上となっている(同報告書、14頁)。その一方で「今の日本の社会は人権が尊重されている社会だと思いますか。(1つ回答)」に対しては「いちがいに言えない」を選んだ回答者が約7割で最も多く、過去2回の調査から大きな変化は見られない状況である。なお同じ質問項目で「そう思わない」と答えた人の割合は2021年調査では16.4%となり、2017年調査時の9.5%、2012年調査時の12.3%を上回っている(同報告書、17頁)。
(注8)例えば、群馬県の2022年12月末における外国人住民数は65,326人であり、前年12月に比べ4,577人増(前年比+7.5%)であったが、2023年12月末には72,315人で6,989人増(前年比+10.7%)、2024年12月末は81,396人で9,081人増(前年比+12.6%)であった。
(注9)例えば、筆者も参加した移民政策学会2025年度年次大会における徳田報告(徳田剛「市町村が多文化共生に関する条例を制定することの意義-長野県安曇野市、静岡県静岡市の事例より」移民政策学会2025年度年次大会報告(筑波大学6月1日))からは多くの有益な示唆を得た。
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「街場の寿司屋の観光立国」(2025年4月7日掲載)
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中央学院大学 現代教養学部 教授中川 淳司年の瀬も押し詰まってから家内と二人、京都に旅行するのが恒例となっている。昨年暮れも、定宿の二条城近くのAホテルに滞在して、街歩きを楽しんだ。チェックインしてからホテルのプールでひと泳ぎし、サウナで汗を流してから、これも行きつけのホテル近くのK寿司さんを訪ねた。古希を過ぎた大将とおかみさん、息子さんと焼き物・洗い場の手伝いさんが二人、気の置けない街場の寿司屋である。大将手作りの鮒寿司に舌鼓を打ち、炙り穴子と鯖のきずし(生寿司)に茶わん蒸しで熱燗をやってから、お任せで握ってもらい、大満足でホテルに戻った。勘定は東京の寿司屋の半額といったところである。でも、値段が手ごろで味が良いから通うようになったわけではない。
寿司を握るのは大将一人である。でも、この店を支えているのは、実は息子さんである。英語が大好きで、大学もその方面に進み、英語の教員資格を持っている。彼がこなれた英語で外国からのお客さんを気持ちよくもてなし、捌く。私たちが晩酌と寿司を楽しんでいる間もひっきりなしに電話が入り、息子さんが英語で応対する。「・・Yes. What time and how many?・・O.K. We’ll be waiting for you.・・Bye!」
気が付けば、ほぼ満席の店内で、私たち以外は皆海外からのお客さんだった。「おかげさんで、トリップアドバイザーで5つ星もらいましてな。こないだは市内の寿司組合が見学に来ました」と、大将が問わず語りに教えてくれた。「自分は70で引退するつもりやったんやけど、息子がもっと頑張れ言いましてな。」そやそやと息子さんがうなずく。
京都市の寿司組合が見学に来るのも無理はない繁盛ぶりである。でも、K寿司のビジネスモデルを真似るのは容易なことではないだろう。大将の握るような値ごろでうまい寿司やつまみを出せる店は他にもあるだろう。しかし、息子さんの分け隔てのない気持ち良い応対を、それもこなれた英語で提供できる店は、京都広しといえどもまず見当たらないのではないか。
満足した客はSNSに好意的なコメントを寄せ、そのコメントを読んだ外国からの客が店を訪れて感動し、SNSに重ねてコメントする。カウンターで私たちの隣に座ったお客さんはメキシコから来た。SNSで「京都に行ったら必ずK寿司に」と教わったとのこと。この好循環を、自前の土地と店で家族主体で地道に営業するお店の暖かな雰囲気が支えている。観光立国の秘訣は案外このような単純なことに尽きるのではないかと思う。
今回、初めて息子さんから名刺をもらった。そこには誇らしげに「K寿司三代目」と肩書が書かれていた。心強いことである。お店は安泰。私たち夫婦の暮れの楽しみも続くことだろう。